近江鉄道多賀線で
多賀大社前駅へ。 駅舎を出ればいきなり大鳥居です。
多賀大社。
延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集め、豊臣秀吉の厚い信仰もありました。祭神として天照大神(あまてらすのおおみかみ)の両親の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っている旧官弊大社です。「お多賀さん」の名で親しまれています。
早朝に訪問しましたので貸し切りでした。お掃除中。
再び多賀線で戻ります。ワンマン電車。運転、ドア開け、切符受取、全部一人でやります。働き者!
さすがに車内のお札は多賀さんでした。
東海道本線に乗り換えて
安土駅へ。
駅前には当然、信長公銅像。
安土城郭資料館。
中世.の.安土に関ずる資料を中心に隼めた資料館。なかでも20分の1のスケールで再現された幻の名城”安土城”は必見です。
このほか屏風絵風陶磁版壁画や信長の時代を中心に資料を集めた安土文庫などあります。
安土城の模型が電動で真っ二つに開き・・・中は超絶精巧。作成者は完全趣味の域だったでしょう。
見てて飽きません。
安土城天主信長の館。
信長の館には1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など絢燗豪華な安土城がここに復元されています。
おもしろかったです。さすが信長公。他の城とはまったく異種の建造物です。
安土城址山。
ひばりの鳴声が・・・。 「平和だねえ」(ルパン師匠風)
それでは、いざ入山

絶景です。 信長公もここを歩いていたかと思うだけで感慨深いです。
摠見寺三重塔。摠見寺は織田信長が安土城築城に伴って創建したお寺で、安土城本丸の西方の峰にあり、天正10年(1582)の安土城落城の際は火災を免れたが、安政元年(1584)の失火で本堂を焼き、二王門と三重塔が残りました。
安土城は、織田信長が1579年に琵琶湖のほとりに築いた五層七階の大型の天主を初めて持った城で、金の鯱(シャチホコ)を初めて乗せたのも安土城だと言われています。ヨーロッバや中国文化の影響を受けた色彩豊かな名城と言われましたが、わずか3年後に何らかの原因で焼失してしまいました。 当時の安土城についての文献はあまり残されておらず、故に幻の名城と呼ばれています。
いかにも信長らしいその変わった天主閣は、外観の瓦層は5層なのに対し、全7階(地下1階、地上6階)で構成されていたそうで、この内外の不一致な階数が特色だと言われています。また高さは本丸地表より43mもあり我国最初の高層建築と言えます。外壁は3層目までが黒、4層目が朱、5層目が金箔。屋根瓦も赤・青・金箔瓦が使われており、当時の桃山文化を代表する豪華絢欄な建築物だったと言われています。
うーむ。この山にあの豪華絢爛な安土城があったと想像するだけでテンションがあがります

来てみてよかったです

安土城、なんとか再建してもらいたいものです。
ところがこの後アクシデント発生・・・。
あまりに浮かれてしまい、急な階段、坂道をホイホイ早足で進んだまでは良かったものの
途中で左足かかとと右足小指が靴ズレ。
実は出発前にトレッキングシューズを購入予定だったもののサイズがないと。
仕方なく5mm小さいサイズを買ったもののやはり合わなかった

下りの階段ではもろ
城址出口に着くころには両足の指全てに激痛が

しかし、事前に確認していた東海道本線の出発時刻が刻一刻と迫る。
両足を引きずりながら駅まで走る。
ダメか間に合わないか・・次の電車まで待つか? いや、それではこの後のスケジュールが。
なんども挫折しそうになりながらも走り続け、奇跡的に電車に乗り込むことに成功

なんとか隣駅の近江八幡駅に到着。
車内から八幡山ロープウェイが見えており方向を確認。
ところが歩いてみるとこれが遠い。 バスを探せばよかったと後悔。
道すがらもバス停はなく、もう完全にビッコ状態

たまらず途中の酒屋さんの駐車場でおそるおそる靴下を脱いでみる。
なんともないでくれ!
祈る気持ちも届かず、ド派手な水ぶくれ祭り・・・


コンビニもみあたらず、水ぶくれをつぶすこともバンドエイドを充てることもできず
ティッシュをあてがう応急処置のみで再び激痛の歩き旅開始。
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